食の文化的側面(注1)を研究しはじめているのは欧米と日本など豊かな国々においてであり、食生活の歴史の研究の書物が自国人によって書かれているのもこれらの国々に集中している。いずれも、経済的に豊かで飢餓(注2)の恐怖をかかえていない国においてのことなのである。食が足ってのち、食の文化について考える余裕ができるのだ。食の文化について考えるのは、一時的にせよ、そのような幸せな状態にある私たちのなすべき義務である、ともいえる。それは自国のためばかりではなく、人類の共有財産として、いつか役立つ方向のものに研究が進むことを要請されている(注3)のである。

 

(注1)       側面(そくめん):いろいろな性質のうちの一つの面

(注2)       飢餓(きが):食べ物が足りずに飢える

(注3)       要請する(ようせい):強く求める

 

 「私たちのなすべき義務である」とあるが、どういうことか。

1 経済的に恵まれた国の食文化にしか研究する価値がないということ

2 人類の共通財産を守ることができるのは豊かな国だけだということ

3 豊かな国は貧しい国に文化的な援助を与える必要があるということ

4 食は一般的な問題だが、先進国しか研究する余裕がないということ