「まじめさ」というものはある意味で危険です。というのは、まじめな人ほどよく悩むからです。

 まじめな人間は、他人からの「期待」に応えようとして悩むのですね。

 他人からの「期待」といっても、それは明文化(注)されていません。私たちは幼少のころから、「いい子」になりなさい、「立派な人」になれと言われ続けてきました。だが、どういう子が「いい子」なのか、はっきりしません。無口でおとなしい子が「いい子」とされたり、逆に自分の意見を堂々主張できる子が「いい子」とされたり、そのたびに違います。だから、そのような「期待」に応えることはむずかしい。そのむずかしい「期待」に応えようとして、まじめな子が悩むのです。
 

筆者によると、「期待」に応えることはむずかしいのはなぜか。

1 時代によって他人の期待は変化するものだから。

2 「いい子」や「立派な人」になるのは時間がかかるから。

3 場合や人によって期待することが変わるから。

4 他人が「いい子」や「立派な人」になることを常に期待するから。