言うまでもないことだが、話を狭く学力だけに限って、それが高いのと、低いのとではどちらがいいか,という問い方をすれば答は明白である。それは高いほうがいいに決まっている。テストをやって、一○○点を取るのと、八〇点取るのとではどっちがいいでしょうと言ってるのと同じだ。それは一〇〇点を取るほうがいいのであり、それが可能かな、ということを調べるためにテストってものがあるのだ。

 しかし、問い方を変えれば答はサンプルではなくなる。テストで一〇〇点を取る子と、八〇点しか取れない子では、どちらがいい子だろうか、と考えてみるのだ。

 それだと、いちがいに(注)答えられない、という答になるはずである。

 どちらがいい子か、という総合的評価ならば、テストの結果だけでとてもではないがあれこれ言えるはずがないのである。

 それどころか、一〇〇点を取る子と、八〇点を取る子では、どちらが頭がいいだろうか、という問いにしてみても、そう簡単には答えられない。そのテストにおいては、一〇〇点取った子のほうが成績がよかった、というのは現実だが、頭がいいかどうかはそれとは別のことなのである。

 そうは思えない、という人がいそうだ。テストでいい点を取ったのだもの、それは学力が上だということであり、そのことをもって頭がいいと認めてやるしかないじゃないか、と思う人が。

 そういう人に私が聞いてみたいのは、あなたは、学力ってものを知力のことだと思っているんじゃないですか、ということだ。

(注)いちがいに:一度にまとめて同じように

 

3 答えられないのはなぜか。

 

1 テストではその子についての総合的なことがわからないから。

2 100点と80点の差は学力を決める時あまり大きな違いではないから。

3 テストの結果というものは、ひとことで説明できないものだから。

4 テストで100点を取るほうがいい子であると決まっているから。

 

4 そういう人はどんな人か。

 

1 テストの点がいいことは頭がいいことだと認められない人

2 成績がいいことと頭がいいことが同じことだと思えない人。

3 テストでいい点を取ったことがあって、頭がいいと認められた人

4 テストでいい点を取っることが頭がいいことを意味すると思う人

 

5 この文章で筆者は言いたいことは何か。

1 成績がいいことは学力があることを示している。

2 成績がいいこと頭がいいことは別のことだ。

3 テストの点がいいことと成績がいいことは別のことだ。

4 テストの点がいいことは頭がいいことを示している。